SNSの「いいね」は難しい 「いいね」は深い(心理分析)

sns いいね 自己啓発哲学系コラム
ツイッターやインスタグラムなどのSNSで使用されている「いいね」の使い方について考えてみました。ただ、ぽちっと「好意的な意味を示すアクション」に過ぎませんが、突き詰めれば深い意味が見出せるような気がします。そんなコラムを書いてみました。
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SNSの「いいね」はその人の愛情表現のあり方!?

感謝の気持ち

良いものを良いと表現する「いいね」はその人の愛情表現のあり方に少し似ている。広く色んな人に「いいね」を配れる人もいれば、自分なりにしっかりと厳選したものにだけ「いいね」を送る人もいる。

また、心では「いいね」とは思っていないのだけれど、相手がそのメッセージや画像(あるいは動画)を発信した時の心理に配慮して「いいね」を押してくれる人もいる。「誰からも “いいね” されなければ寂しいだろうし…」と思う「労りの心」はとても美しい人間愛だと感じる。

自分への「いいね」反応を軸に他者に「いいね」を押す人

一つ面白いのが「相手のいいね行動」を「自分のいいね行動」に反映させるケースである。

「いつも “いいね” してくれてありがとう♪」という気持ちが、メッセージや画像(あるいは動画)の内容如何に関わらず、相手への「いいね」に替わるのである。このような「感謝を忘れない気持ち」は、人が失ってはならない大切な心だと思う。

とは言え、これを始めると「いいね」の本来の意味は置き去りにされてしまう(笑)。徐々に義務感に支配されていき、何のためにSNSをしているのだろう…と、嫌になってしまうケースもある。このタイプの人は、もしかしたら「アカウントの出戻り(止めては復活止めては復活の繰り返し)」が多いかもしれない。

また逆に「いつも私をスルーしているんだから、私が “いいね” してあげる必要なんてないよね…」と考えるケースもある。これも「相手のいいね行動のリフレクション」の一つなのだが、本来良いものは良いはずという点から見れば「歪んだ感情」である。

「いいね」する際、このような点にこだわってしまう人は「してあげてる感」も前に出やすい傾向があるのかもしれない(どこかで見返りを求めやすい体質なのかもしれない)。一見、人当たりがよく優しく映る人でも、分け与えた分だけ戻ってこなければ腹を立ててしまうタイプなのかも…と推察される。

良いものは良いはずなのに、自己都合で評価が歪められる

愛情表現とは、本来見返りを求めて行なわれるべきものではない。「いいね」を届ける感情に裏心を育てるべきではない。そんな時間があったら、見逃している「いいね」に心配るべきである。もう少し普遍的な人間愛を目指すべきである。

自分がこういう点で未熟な人間だからこそ、いいねって難しいな、いいねって深いな…と感じる今日この頃である。

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