執筆に役立っているスキルや経験 4つの力

執筆に役立つ経験
こちらの記事では「永彩舎」としてWeb記事の執筆代行を行なっている私が、ライティング作業に役立っていると感じる「過去の経験」や「取得資格」についてご紹介します。「なぜ、それほどGoogleに評価される記事が書けるのか?」を知るには、このコラムをご覧いただくのが一番です。読んだからと言って真似できるものでもありませんが、私の記事クオリティーのバックグラウンドを推し量るには十分な内容となっています。
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コラム記事の制作に役立っている4つのスキルと経験

人生で経験してきたことの大部分は私の執筆に活きています。そしてこのような人生を歩んだ人はかなり稀だと感じているため、私の文章は他の人が簡単には真似できないだけのクオリティーを担保しています。

細かな経験を言い出すとキリがありませんが、ここでは執筆にかなりプラスに影響している資格や経験を4つご紹介します。

1.日本語教育能力検定試験(合格実績)

日本語教師

「日本語教師」と聞くと「あぁ~あれ…」と「海外で日本語を教えている先生」を何となくイメージされると思います。この「日本語教師」にもいくつか資格があり、その中でも水戸黄門の印籠のごとく最強なのが「日本語教育能力検定試験の合格」というものです。

合格率は、日本語学系の院卒者で2割程度なのでなかなかのものです。私の場合は1年半?ほどの「日本語教師養成講座(兼試験対策)」のようなものを通して合格したものですが、とにかく本気でやって何とか合格までこぎつけました。

その後は、国際協力系のボランティア活動(国が関わっているもの)に運よく参加でき、赴任国ブラジルで2年ほど日本語教師として活動しました。その経験をここで書くと話が明後日の方向に飛んでいくので、とりあえず話を「執筆力」の方に捻じ曲げます。

執筆に求められる日本語力とは…?

  • 日本語の文法力(乱れない主部と述部の繋がり)
  • 論理的整合性(記事全体で話の筋が通っていること)
  • 多様な言い回しを織り込める表現力

「執筆で必要不可欠な日本語力」とは、一つには文法力です。たとえば、主語と述語にブレがないこと、また文章力という意味では論理的整合性なども含まれてきます。さらには基本的な漢字などは言うまでもなく、同じ内容に対してどれだけ「多様な表現」が織り込めるかというのもあります。

特にWeb上の記事に関しては、「類似性」が忌み嫌われる傾向にありますので、「別の言い回しで説明できる」というのは強みになります。頑張って獲得しようと思っても普段からいろんな記事を読む習慣がないと、ボキャブラリーや表現力は磨かれていきません。

私は日本語教師として「せんせー」と言われていた過去があるため、知らない言葉や表現については見つけ次第調べる習慣を持っています。「山を登る」と「山に登る」の違いのようなもの…、昔はよく友だちに質問して自慢していました。今では日本語へのこだわりをアピールする機会も少なくなりましたが、それでも執筆時の「文法力」や「てにをは」、いつの間にか培われてきた「論理的な展開力」や「角度を変えた表現」などは記事を書く際に活かされています。

2.図書館司書教諭の資格

図書館司書教諭課程

「図書館司書」の資格ではありませんが、私の取得した「学校図書館司書教諭」の資格も基礎的な図書の分類知識をフォローし、幅広い情報検索リテラシーの指導に貢献するものです。こちらは民間や市営の図書館などではなく、公立小中学校などの「学校内の図書館(図書室)」に勤務することができる資格です。

実際のところ、これを使って公立小中学校の図書館で非常勤雇用されているケースは稀だと思います。どちらかと言うと、一般の教員の中で更にこの資格を持っている者が各学校に数名いて、彼らが学校図書館の管理や運営をフォローしているといったイメージです。

とは言え、児童生徒に資料検索の仕方やPCリテラシーを教育(指導)し、情報の分析や精査する力を獲得できるように導く資格ですので、当然本人がそれなりのレベルに達していなければなりません。このため、この資格を有している時点で、ある程度一般の者よりも「情報リテラシー」に強みがあると言えます。

「分類すること」「整理できること」の大切さは生きるほどにジワる…

散らかった書斎

図書館司書教諭の資格習得過程ですごく役立ったと感じたのは、情報の検索力や精査する力だけではなく、むしろ図書整理の基本中の基本「図書をカテゴライズして分類するスキル」です。図書館に行けばわかりますが、各図書は「日本十進分類法(NDC)」と呼ばれる分類法に基づき、無駄なくナンバリングされて最短時間でアクセスできるように整えられています。

たとえば社会科学系の本は300番台だから「その内容ならあちらの方面にまとまっています」といった具合です。これはごく当たり前のことのように思えますが、実は整理整頓されている対象は「図書そのもの」というよりも、深い部分ではその中にある「知恵」であり「思考」なのです。「その本は何を取り扱っているのか?」という概念を捉え、「この内容ならば最終的に何番台で収納されるべきだな…」という思考プロセスが働き図書が1冊1冊分類されているのです。

この部分の「深み」を知れば、概念を整理することの大切さが良くわかります。これができていれば、ごちゃごちゃしたテーマにも「目印」を付けてしっかりと分類できるようになります。目印とは、たとえばいくつかのバラけた言葉の中心的(共通的)な概念となる「上位語」であったり、わかりやすく総括した「キーワード」のようなものとも言えます。

少し話が逸れてしまいますが、たとえば私のパソコンの「インターネットのお気に入りページ」については、先の「日本十進分類法(NDC)」に基づいて各カテゴリーごとにナンバリングされたホルダーがあり、それぞれのページが該当されるフォルダーに分類されています…(笑)。なぜそのようなことをしているのかと言えば、最短ルートと最短時間でアクセスできるようにするためと、頭の中でごちゃごちゃした概念をきっちりと分類(整理)したいからです。

概念整理の習慣が生み出したのは「説得力のある展開力」

執筆時に読者を論理的に導き説得させられるかどうかは、書き手自身の頭の中で対象がどの程度情報整理されているかによります。似たような概念の中でも共通性と固有性の両面を捉えられていれば、間違いやすいポイントにフォーカスして読者の思考プロセスを導くことができます。読者が気付きにくいことを優しく解説しながら話を進めれば、その文脈に説得力がもたらされ、「なるほど~」という納得が生まれるのです。

つまり、こちら側が用意した記事構成(≒論理構成)によって検索者を満足させられるかどうかは、ライター側がその対象をどれだけ深く認識し、適切に概念整理できているかにかかっているといっても過言ではないのです。

この分類スキルについては、細かな作業が得意な人物が資格過程などで更にその意味を深めることによって培われていくものです。概念整理ができない人に関しては、どれだけ時間をかけても論理的な文章は書けません。「ライティングは誰にでもできるアルバイト」のような捉え方もされますが、実は文筆力とは精度を求めていくと、かなり「プロフェッショナルなスキル」なのです。

図書学系の資格過程でそこそこ若い時期にこのような知恵を獲得できたからこそ、私は検索エンジンに評価される文章が書けるようになったと思っています。

3.教員経験

教員経験

私が携わった教育領域は非常に特殊なものです。普通の教員として公立の学校に勤務していたのではなく、日本の公立小中学校ではあるものの、そこに通う外国人児童生徒を生活面・語学面から支援する「特別支援教員」みたいな立場でした。

授業についていけない外国籍の児童性を別室に取り出してまとめて指導する「取り出し授業」や、少し日本語の理解力が足りない児童生徒の横について先生の授業内容をわかりやくかみ砕く「くっつき授業」など、児童生徒の学習レベルに合わせて柔軟に支援する形でした。

通訳として親と担任の間をサポートしたり、学校文書を英語やポルトガル語に翻訳したりもしていました(一人で合計12校の小中学校を掛け持ちしていたので、各学校で求められるものは様々でした)。つまるところ、「外国から来た子どもたちが日本の学校教育環境に適応できるようにサポートすること」がこのときの私の教員活動の内容でした。

支援対象のメインは南米系の児童生徒

支援対象となっていた児童生徒は、主にブラジル人を中心とした南米系の出稼ぎ日系労働者の子どもたちです。フィリピン系の子どもたちもいましたが、メインとしては南米系児童生徒が対象でした。

自分で求めたわけでも何でもなく、親の都合で突然日本に連れてこられ、言葉も文化も違う世界で朝から夕方まで長時間拘束される。彼らにとっての日本の学校は、現場の努力がどのようなものであったとしても、あまりポジティブに映るものではなかったと思います。

「教育科目」とは、そもそもわからない内容を教わるものなので、それをわからない言語で説明されると習得すべき内容が習得できないのは当たり前のことです。学校ではもちろんそのような学習だけが展開されるわけではなく、運動会や文化祭、音楽合唱コンルールなどの学校行事もあります。休み時間に遊ぶ相手が少なかったり、心を開放できる場がなく、言葉や肌の色の違いなどもあり「いじめられる」ということをほとんどの子が経験していたのではないかと思います。

私が関わっていた子どもたちの中には、日本人の子どもなら難なくマスターする「九九の掛け算」ができない子もいました。ちょっとした計算問題にも拒絶反応を示し、教えようとしても嫌がって適当な言い訳を付けて逃げ回っていたのを覚えています。それが小学生の子どもならまだ良いのですが、彼女は既に中学生だったりもして、傷つけずにどのように教えていくべきかについては非常にタフな問題となっていました。

培われたのは、わからない人を前提とした「寄り添う解説」

寄り添う姿勢(教員)

最終的に私はそのポストから退く形になりましたが、そこで得た経験の中で執筆に活きていることと言えば、「わからないことを大前提にしてその状況に配慮し、失望感を与えることなく理解できるように導く力」です。

今でも時々「自分はあの場所から逃げたのかな…」と思うことがありますが、一般教員との圧倒的な給与格差の中で毎日「片道40kmの車通勤」をしていたこもあり、「どこかでやはり区切りをつけなければ…」という形になりました。そして次項に挙げる通訳の仕事などに移行しつつ、そのフリー気質がいつまでも抜けないまま…いつの間にやらこのような「デジタル文筆家(執筆家)」になってしまったというわけです…。

いずれにしましても、私の言う「誰にでも理解できる文章」というのは、一般的な「わかりやすい文章」のクオリティーよりももう一段階高いレベルを指しているつもりです。傷ついてしまわないようにかなり細やかに神経を使いながら授業をしてきたので、上から目線のような「わからせる文章」ではなく、「下から優しくサポートしていくような解説」が可能です。

4.通訳経験

通訳経験

通訳という仕事はやったことのある人にしかわかりませんが、頭の中で2つの思考プロセスが同時展開していくものです。特に何かの専門領域を通訳しなければならない場合、まず日本語で解説されている内容をしっかりと自分が消化できなければなりません。それを聞きながら、じゃあこれを対象の言語で言うならどうまとめるべきなのか…、そう考えつつ今言われていることは忘れてはならず、もちろんまだ続いていく話を聞き逃してしまってもならず…、メモなどは取りつつも手を動かし書き綴る言語は日本語で、それを書きながらもすぐにでも対象言語でアウトプットできるように頭の中でまとめなくてはなりません。

つまり、入ってくる言葉を「耳」で集中し、脳内で整理して「手」で簡易的なアウトプットを行ない、同時進行で「別脳稼働」させて対象の外国語を「口」で出力する準備をする…このような作業になってきます。厳密には、「目」で話す人とその内容の訳を待っている人の表情を追いながら、場が適切に維持されているかにも神経を注ぐ必要があります。

そのような仕事をしていると、普通の生活ではあまり磨かれないセンスが研ぎ澄まされていくことがあります。

日本語の曖昧性や、通訳相手の背景知識も影響する…

日本語というのは最後まで結論がわかりにくい言語構造をしています。それに対してアウトプットしようとしてる西洋系言語というのは「英語」のように初めの方に結論を言う傾向が強いです。

最後まで分かりにくいものを耳で追いながら、その内容は初めて聞く超専門的な内容たったりするのに、時として私のその説明を待っている相手が背景知識の乏しい「研修生」だったりすると、その研修生自体の理解力の問題なども影響してきます。

このようなことで、少し難しい概念が相手にうまく伝わらないとき、相手の思考の躓き箇所がどこにあるのかについても瞬発的に考えフォローせざるを得ないケースが出てきます。また、逆に話す側の内容に対しても「次に相手が何について説明を加えてくるのか」について予想し準備するスキルがごく自然に磨かれていきます。

相手の思考を先回りして、たぶんこう説明さえるであろう日本語(あるいは外国語)を、まだ話してもいないのに先に外国語(あるいは日本語)で頭の中に用意するようになったりするわけです(笑)。

相手の内容を少しでも早く、かつ途切れることなくアウトプットできるように思考をまとめなければなりませんので、「次はこういう展開で説明されるのかな…」といったことがこちら側の準備として整っていくのです。

「この人今こう考えているのかな?」の感覚が研ぎ澄まされていく…

想像力と先読み力

通訳をしているうちに私は「あーこの人今こういう風に思考しているのだろうな…」ということを無意識レベルで想像する癖がついてしまいました。決して人に好まれるような癖ではなく、むしろ嫌われかねない傾向でもあるのですが、このおかげで文筆作業においては「読者が次に求める疑問点」にしっかりとオートフォーカスできるようになります。

普通のライターだと、自分の文章を論理的にまとめるのに全力を注ぐところ、私の場合はその作業を同レベルで集中しながら「今これを書いたらこの疑問も出てくるな…」と同時並行で脳の別領域が次のトピックを意識し始めるのです。

このようなプロセスが限りなく続いていくため、私は文章を書いていて文字数が足りなくて困ることはありません。いつも書き過ぎてしまい、「でもこれも入れ込んでおきたいからな…」という思いにぶつかり、文字数超過と記事単価とのせめぎ合いに苦慮することになるのです(笑)。

とは言え、多くの場合、わざわざ有益だと思える文章を削り文字数を減らしてまでオーダー規模に合わせることはしません。コラムの価値を少なからず下げてしまう作業にわざわざ自分の時間を充てるよりも、調整時間が少なくなるメリットの方を選びます。この方が記事の評価も上がりやすく発注者も喜びますので、トータルでもメリットが見出せるのです。

そして、読者満足度の高いコラムが作られていく…

このようなことで、私が執筆したコラムは多くの場合検索に訪れた読者を満足させることができます。疑問に答えられるだけの十分な情報があり、「そこが知りたかった!」をわかりやすく紐解く論理が展開されていくのです。よって、私のコラム記事は読み終わった後にあまり疑問が残らない「気持ちよく消化できる完結型」になっています。もちろん、完璧とは言い切れませんが、間違っても何が言いたいのかよくわからないモヤモヤした感情が残ることはないはずです。

時として「既にわかっている人」にはウザがられる説明にもなり得るのですが、そんなときにも少し「毛色の違った表現」を使ったり「気の利いた台詞」を織り交ぜておくと、嫌がられずにまあ一応読み続けてもらえます。そのようにして、私のコラムはGoogle検索エンジンに高く評価されることが多くなっています。

結論…確かに類稀な経験が執筆作業に活きていそうだ

様々なスキルと経験

当コラムでは、永彩舎としてコラムを提供している私の個人的な経験やスキルの中から、特に執筆にプラスに働いていると思われるものについて4つご紹介しました。もう一度振り返っておくと、以下のように集約できます。

  1. 日本語教師資格と経験…適切な日本語力(文法・論理・語彙)
  2. 図書館司書教諭の資格…情報リテラシーと概念の分類力、最適化された論理展開
  3. 特殊な立場の教員(支援員)経験…わからない人目線でサポートできる力
  4. 通訳経験…思考の同時進行や先回り、多角的な情報出力への貢献

正直申し上げまして、かなり個人的なことを説明しているため、どれほどの方が最後まで丁寧にお読みいただけたのかが疑問です…(笑)。

しかしながら、一つの結論として「情報量の多い説得力のある、論理的乱れが少ないGoogleに評価されそうな記事」は提供していそうだな…とご判断いただけたと思います。文筆作業というのは、それまでの人生経験がかなり影響してくるため、ただ5年、10年とやっていればうまくなるというものではありません。

特に2つ目にご紹介した「概念の分類(整理)」という作業は重要で、日常的にこの思考習慣を持っていない場合、なかなか文筆力は向上していかないのではないか…と思っています。

私自身の記事もまだまだ至らぬところも多いですが、特に余計な枝葉を削ぐことを意識しつつ、今後も喜ばれるものを提供し続けていきたいなと考えています。

もしも執筆スキルの高いライターをお探しの場合、更に言うと「深掘りすること」がかなり重要な意義を持つメディアを運営されている場合、一つの候補者として「永彩舎」をピックアップしていただけますと幸いです。最後までご覧いただきありがとうございました。

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